2012/09/05 10:57
 
 

明明就沒去魚津市,偏偏看到很多很有興趣的東西

硬要扯,魚津市也算是富山縣啊~~

還是開個文把搜集到的資料存起來

以後有機會~實在是太遠了,還是希望有機會可以去!!

老實說,看完這麼多資料,魚津市算是一個很偏遠的小城市

市區面積200.6平方公里,總人口 44.506人(2012.9.4更新)

可是看看人家的網站,做的實在是詳細,更新的也很勤勞,

啊 ~ 日本人啊~ 日本人

[更新日:2012年9月4日]

魚津市の人口

  
男性   21,531人
女性   22,975人
合計   44,506人

 

DAY 4 ( 2012 July 11 Wednesday )

九十九灣船上遊覽朝食 ~ 金澤.兼六園(石川縣) ~ 東茶屋街.懷華樓 (石川縣) ~

21世紀美術館(石川縣)~ 武家屋敷.古街道散策(石川縣)

~ 住宿:富山全日空飯店 (富山縣)

 

DAY 5 ( 2012 July 12 Thursday )

富山全日空飯店 (富山縣) ~ 立山車站 ~ 黑部立山搭乘六種交通工具~ 扇澤 (長野縣)

~ 住宿: 輕井澤 Green Plaza (長野縣)

 

 

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魚津市は、富山県の東部に位置し、富山市から東へ25キロメートルの距離にあり 、総面積は200.63平方キロメートルです。北東は布施川を境に黒部市と、南西は早月川を隔てて滑川市・上市町と接しています。北西には富山湾が広がり、「蜃気楼・埋没林・ほたるいか」が本市の三大奇観としてよく知られています。
 南東部は、最大標高2,415 メートル(釜谷山:毛勝三山の一つ)に達する山岳地帯で、北アルプスに連なっています。これらの山々を源として、片貝川、布施川、早月川や角川などの河川が、市内を潤しながら富山湾に注いでいます。市域の約70%が標高200メートル 以上の急勾配な山地で占められ、台地から平坦地、海岸へとおだやかな斜面を形成しています。海岸線は比較的平坦で、その延長は約8キロメートルですが、海中では、海底が急傾斜となり深層まで落ち込んでいます。そのため、魚津の港は昔から良港として船の出入りが多く、海底の湧水に育まれ魚の種類も量も豊富で魚津の名のごとく県下屈指の漁場として広く知られています。

關於魚津市 uozu

魚津市公所官網

http://www.city.uozu.toyama.jp/contents/kanko/sinkirou.html 

魚津市觀光協會

http://www.uozu-kanko.jp/

魚津埋沒林博物館

http://www.city.uozu.toyama.jp/nekkolnd/mirageex/index.html

越中觀光圈

http://www.niikawa.jp/midokoro/uozu/

 

 天正101582)年、越後の上杉方にとって重要な拠点であった魚津城は、越中制圧をもくろむ織田方の軍勢に包囲されました。80日間に及ぶ篭城戦で、壮絶な戦いが繰り広げられましたが、善戦むなしく落城となりました

魚津城と上杉氏

魚津城は、15世紀ごろに松倉城の支城として椎名氏によって築城されたといわれています。

永禄12(1569)年、上杉謙信が椎名氏を破ってからは、

上杉氏が魚津城を支配するようになりました。


 魚津城は越中・越後を結ぶ北陸道の押さえとなっており、

また松倉城への主要ルートと考えられる角川河口にあり、

陸海の交通の要衝となっていました。


上杉氏にとって、魚津城や松倉城を含む魚津は、

越中進出のための侵攻の拠点であり、また、

敵の越後進入を防ぐ防衛の拠点でもあったようです。 

魚津會戰 !!!http://www.city.uozu.toyama.jp/attach/EDIT/004/004435.pdf   
003118.png  

 

開戰前始末

 

上杉謙信病逝之後,織田信長欲控制北陸地方。天正9年(1581)與上杉家內通的織田願寺城寺崎勝永木舟城石黑成綱信長整肅後北陸基礎趨於穩定。隔年(15823月織田軍圍攻魚津城,上杉景勝小島職鎮神保長住急襲織田控有的富山城成功。11日,柴田勝家等人中止圍困魚津城,前往奪還富山城。之後4萬織田軍攻擊再開,當時守備魚津城只有38百上杉軍。

戰鬥開始

魚津城遭包圍後,上杉軍指揮官中條景泰向上杉景勝求援。但是景勝受困於越後新發田重家叛亂而被迫中斷行動。改以能登松倉城上條政繁齋藤朝信54,景勝從春日山城出發,19日到達魚津城東邊的天神山城。另一方面,信濃海津城森長可上野廄橋城瀧川一益擊潰景勝在春日山城附近駐軍,對準備發動總攻擊。不久,上杉軍和戰有絕對優勢的織田軍展開籠城戰。63,上杉軍有了城池將要陷落的覺悟,守將和指揮官共13人殉城,織田軍勝利。

結果

上杉景勝的北陸支配權喪失,讓渡給信長。62,信長遭明智光秀叛亂被殺,柴田勝家等人大驚,全軍撤退。上杉方以須田滿親為首進入空城,奪回越中東部失地。 

這篇文章把魚津合戰述說的很詳盡(!)http://www.wretch.cc/blog/spurs666/32777388  

來個天地人的連結好了,這篇文章真的讓我笑破肚皮

http://blog.yam.com/gckpan/article/20087374

妻夫目聰所飾演的<直江兼續>好可愛,好帥喔~~

北村一輝還是跟在醫龍的時候一樣帥啊 ! 他飾演<上杉景勝>

 

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NHK大河ドラマ『天地人』でも直江兼続のターニングポイントとしてえがかれました 『天地人』の原作は、小説家・火坂雅志氏の同名小説です。 主人公は、上杉家に仕えた直江兼続(なおえかねつぐ)という人物です。 直江兼続は、もとは名を樋口与六といいました。幼少期に、その聡明さと利発さから、上杉景勝の近習として取り立てられたことによって、後に上杉謙信の後継者となる景勝との運命的な出会いをはたします。 景勝が家督を継いだ後、名門・直江家の家名存続のため、直江家に婿養子に入ったことで、直江兼続を名乗ることになります。 殺伐とした戦国時代において、「愛」と「義」を貫き通したことから、多くの人が兼続を慕ってきたといわれています。 『天地人』のなかで、魚津が舞台となる場面があります。 それが「魚津城の戦い」です。直江兼続が上杉家の重要な地位についてから初めて迎えた危機といえます。 史実では、直江兼続が魚津に来たという実証はできていませんが、原作では、織田方に包囲されている魚津城に入城する場面が書かれており、魚津と直江兼続を中心としたストーリーが展開していきます。 魚津歴史民俗博物館で視聴できる「魚津城の戦い」の説明映像をうおづ映像ライブラリーで公開しています。 「魚津城の戦い」の説明映像を視聴されたい場合は、次のURLをクリックしてください。 なお、この映像を視聴するためには、Windows Media Playerがインストールされている必要があります。ご使用の環境に適したプレイヤーをダウンロード、インストールし、セットアップしてご覧ください。魚津城の戦い(wmv形式 5分18秒 148kbps)

 

 

 

http://www.city.uozu.toyama.jp/contents/battle_of_uozujo/topic06/topic06.html

 

uozu-jo_castle01.jpg 

 

天地人的魚津城戰 (這個網站可以記住)

http://www.city.uozu.toyama.jp/contents/battle_of_uozujo/topic04/topic04.html

 

http://www.city.uozu.toyama.jp/contents/battle_of_uozujo/topic01/topic01.html

 

uozu-jo_castle.jpg  

 
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http://www.city.uozu.toyama.jp/contents/battle_of_uozujo/topic04/topic04.html

 

魚津歷史博物館在賣的周邊商品 萌啊~

 
yunomi.jpg 
 
 
 
 
 
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海市蜃樓

這就酷了,我覺得比黑部立山還酷耶~(在每年的3-10月會發生)

看一下別人的遊記好了

http://tw.myblog.yahoo.com/jw!kAeI4kaRGBKYGLV_A4bjPyQ-/article?mid=2281&prev=2301&next=2280&page=1&sc=1

 
 
 
map.jpg 
 

http://www.city.uozu.toyama.jp/uz-vod/mirage_live/index.html

http://www.city.uozu.toyama.jp/nekkolnd/mirageex/index.html

http://www.city.uozu.toyama.jp/nekkolnd/ 

 

非常詳盡的更新海市蜃樓出現的時間

 

魚津の海岸からは、北北東に黒部市生地、
北から西にかけて能登半島と氷見市、
西から南西へ向かって高岡市、新湊市、富山市岩瀬、水橋、滑川市までを見渡すことができます。

このカメラでは、黒部市生地方面、富山市岩瀬方面の映像を見ることができます。

春の蜃気楼が出やすい時期は
(3月下旬~)4月~5月(~6月上旬)、
冬の蜃気楼は、11月~3月頃の寒い時期です。
〔埋没林博物館ホームページ ~もっといろいろ蜃気楼~ より〕

 

 

以下圖片來源

http://www.city.uozu.toyama.jp/nekkolnd/mame/sinkirou.html

 

バーコード状に伸び上がった蜃気楼(1999年5月22日)

 
shinkirou01.jpg
 

反転と伸びが混在した蜃気楼(2001年5月13日)

 
shinkirou02.jpg

実景(富山市岩瀬方面)

 
shinkirou03.jpg      
 

蜃気楼は、空気中で光が屈折するために5~20km離れた景色が実際とは違う形に見える現象で、上位蜃気楼(=春の蜃気楼)と下位蜃気楼(=冬の蜃気楼)の2種類があります。
春の蜃気楼(4月から5月に多い)は、実際の風景の上側に、伸びたり反転した虚像が出現します。
富山湾の海面上に冷たい空気が層をつくり、その上の暖かい空気とのあいだで急に密度が変わるときに出現します。
以前は、立山連峰から富山湾に流れ込んだ春の雪どけ水が空気を冷やすと考えられていましたが、近年は、雪どけ水はほとんど関与せず、気温や風の動きが最も密接に関与していると考えられています。
冬の蜃気楼(11月から3月に多い)は春とは逆に、実際の風景の下側に反転した虚像が見えます。
これは、冬の冷たい空気が暖かい海水に接するところで暖められ、春とは逆の温度勾配になり、光の屈折の仕方も逆になるのが原因です。
春の蜃気楼は、平年で4~5月に10~15回程度しか出現しません。また、毎年ほぼ確実に出現する場所も、魚津のほか滋賀県大津市など限られています。
冬の蜃気楼は、冬の間は視界さえよければ毎日のように出現し、富山湾に限らず全国各地の海岸で見ることができます。

 
 
 

 

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