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新藥師寺官網  http://www.shinyakushiji.or.jp/    

緣起 : 這麼多年來, 8世紀建造的新藥師寺原建築大多已被燒毀 , 現在只剩下少許的建築, 寺院的領地面積也縮小了很多。 本堂 (天平時代) ,鐘樓 (鐮倉時代初期), 南門與地藏堂 (鐮倉時代後期) , 並沒有太多雄偉的建築, 只有小的細節可以欣賞。 書上說, 可以看看鐮倉後期之前, 奈良地區的蛙古.頭貫木鼻,垂木的配置等等的設計變化的鐘樓與地藏堂。

現在大家最注意的應該就是藥師如來佛及十二神將, 大部分的遊客都是為了這個而來。 當然, 藥師如來佛及這些神將的藝術性絕對不會讓大家失望, 我甚至覺得應該要更好好的保護才對, 這些國寶們就這樣很親切的跟大家近距離接觸, 難道日本人都不怕這些國寶受到人為破壞或是大自然風化的傷害嗎 ? 看到祂們在自然的空氣溫度溼度擺放著, 難怪身上亮麗的色彩都已經完全不見了, 恕我駑鈍 , 是因為全日本的國寶太多 ? 還是祂們當初就是為了親民而製做的神像 , 本來就是要跟百姓民親近的 , 只是時間久了, 就變成現代人口中所謂的國寶 ? 祂們其實就是人民日常生活的守護神 , 所謂的國寶只是現代人所賦與的外在標籤 , 祂們完全不應該有距離的被放在博物館裡面。 

我搜尋了一些日本網站, 試圖尋找更多不同的資料, 結果發現新藥師寺有一尊香藥師佛, 離奇的失蹤了3次, 第3次就沒有再找回來了。第3次遺失的時間是在1943年, 距離現在已經有70幾年了, 還有人寫成推理小說 , 感覺是一件很特別的失蹤事件。 然後, 新藥師寺還有幾尊小佛像也有一些典故, 只是礙於不懂日文, 所以只能半猜, 然後自己再去找史料, 倒是使用google 翻譯這麼久的時間後, 我更確定之前的體悟, 那就是, 要把需要翻譯的語言先翻成英文, 再用英文翻成中文來看, 或是直接看英文,  那樣就比較能夠看懂, 品質會好很多。 

我大概查了香藥師佛的一些故事之後, 已預計要收工發文, 沒想到在書寫的那一天下午, 又看到日本新聞網站一直在報導奈良國立博物館發佈的新聞, 說是右手掌找到了,也被證實是真品。 因為新聞裡面寫得很簡單, 有太多的細節又兜不起來, 忽然想到, 到奈良的那一天, 在入江泰吉舊居遇到一位女士, 她剛主持完一個講座, 當時相談甚歡(用簡單的英文), 她給了我一張名片, 是任教於某個大學的老師, 在藝術上好像頗有研究。 當場我也得到她的同意, 因為我不懂日文,看不懂日文資料, 如果之後我有問題是不是可以請教她 ? 她也很熱心的跟我說, 沒問題 。 於是, 當天我就很厚臉皮的發了FB的訊息請教她, 把日本的新聞跟我的疑問一起請她指點迷津, 她真的很熱心的回答我一些疑問, 當然, 真正的迷惑還是沒有人知道, 除非去買那位記者的書。

這應該是我在這次的書寫中, 最值得記載的經驗。而且以後有人可以問了, 真的很開心。

(為了怕連結得網頁新聞被移除或太久不見了, 把新聞內容也先copy出來)

………………………….. 

2016.12.26 奈良國立博物館公布, 找到香藥師佛的右手 , 右手是8.6公分長,可以感覺手指和柔軟性,並顯示細膩的翹曲。並可以感受到奈良時代的火燒的粗灼感 , 將從2016.12.27起在奈良國立博物館公開展覽  

新薬師寺の香薬師像遺失始末

(1)   http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/kobutuaikou/shodana/shodana182.htm

(2)   http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/kobutuaikou/shodana/shodana183.htm

(3)   http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/kobutuaikou/shodana/shodana184.htm 

73公分高的香藥師佛是白鳳時期(7-8世紀,重要文化財產)的佛像代表之一, 因為它的優美, 所以又被稱為黃金佛, 它不只給罹患疾病的人帶來很大的希望, 也擁有很多信徒的虔誠信仰因為這樣的存在感, 香藥師佛在明治時代被偷了2, 這兩次都有找回來並回到新藥師寺。 第一次在明治33(1900)被偷 ,之後在奈良市內的瑜伽山被發現。也許偷竊者發現不是金像而是銅像所以就丟棄在山裡  

1回目の盗難のときは、幸い、奈良市内の瑜伽山から発見された。 瑜伽山は、奈良ホテルの通りを隔てた東側にある小さな山で、新薬師寺からほど近いところから発見されたことになる。
明治33年のいつ頃、どのように盗まれ、発見されたのかは、この盗難の記事や資料を見つけられなかったので、よく判らない。
多分、黄金仏と信じて盗み出したが、銅製の仏像であることが判り、山中に捨て置いたのではないかと思われる。

第二次被竊是在 明治44(1911) 617日的深夜。在614日午後2 ,當時還沒有任何異常 , 617日的深夜有聽到奇怪的聲音在本堂 , 619日發現, 已經不見了。

614日の午後2時ごろ、拝観者のため本堂安置の厨子を開いたが、その時は香薬師に異常はなかった。

617日夜は、住職は留守にしていたが、留守居の女性によれば、深夜11時ごろ、本堂で異様な物音が聞こえたのだが、そのままにして見回りはしなかった。翌日、戻った住職は、本堂の錠前などを点検したところ、異常がなかったのでそのままにしておいた。
619日朝、本堂内見回りの際、住職が厨子の扉を開いたところ、香薬師像が消えていた。

遺失21.jpg  

遺失22.jpg 遺失23.jpg  

 佛像於630日在大阪府住吉附近的山中被發現, 當時曾造成很大的轟動, 又被稱為國寶盜難事件。 此時, 佛像有些部分已經被破壞了, 會不會是因此發現不是黃金而是銅, 所以……. 

630日、大阪府下東成郡墨口村大字上住吉小字浄土寺山草叢中に放棄してあるのを、大野松之助が拾得して、警察に届け出た。
確認の処、香薬師像に相違ないことが判明した。
しかしながら、右手首は古傷があった処から折れ離れ、両脚は足首から切断されていた。手首の方は残されていたが、足首は見あたらない。拾得者の大野松之助には、慰労金百円を与え、香薬師像は元の新薬師寺に安置された。

..........................

在太平洋戰爭時期,  1943(昭和18) 326 被偷了第3次後就沒有再尋回 ,奈良縣警設置了搜查本部全力調查,但仍無所蹤總, 最後香藥師佛成了 (行方不明的國寶)到今天為止(2016.12) 已經遺失了70多年, 算是不小的懸案, 有人持續的追蹤這件失竊案, 也有人把這個失竊案安寫入了小說。

龜井勝一郎訪問新藥師寺大概是在昭和十七年(1942年)。他在1943(昭和18) 36歲時出版「大和古寺風物誌」。    「那時,龜井參觀了新藥師寺的藥師如來像的胎內佛即香藥師佛之後,寫下了自己的觀感。文章非常優美。大概香藥師佛有種即使那篇文章也無法表達的美。龜井還寫了非常有趣的事情,他說,香藥師佛和東京深大寺的釋迦如來坐像一模一樣。」

「龜井還使用了極為獨特的表達,他這樣寫道:香藥師佛為兄佛,深大寺的釋迦如來看上去則為妹佛。據說新藥師寺的香藥師佛和深大寺的釋迦如來都缺了右手的中指指尖。」

 47歲的貴田正子,1993年進入產經新聞社, 在新人時代就採訪過香藥師佛的複製像, 持續把香藥師佛的報導作為畢生的事業。 2002年離開產經新聞社, 她依然不間斷的追蹤香藥師佛的行蹤, 持續20,在持續的查訪中, 貴田正子在去年(2015) 發現它的右手被保存在神奈川縣鎌倉市的寺廟。原文藝春秋社長及作家佐佐木茂索 (1894-1966) 在東京自宅持有的右手掌在他過世很久之後, 他的遺族 2000年把手掌寄贈到神奈川県鎌倉市的寺廟。根據貴田正子小姐的說法 , 佛像的右手在明治時期被盜時, 就已經被破壞切斷了,貴田正子也在201610月出了一本書『香薬師像の右手』,描述了整個過程 只能用奇蹟跟命運來解釋這個驚喜。

現在, 香藥師佛銅像的右手已經返還給奈良新藥師寺。 (2015.5月發現,10月歸還新藥師寺)

東京藝術大学名譽教授、日本彫刻史研究権威水野敬三郎先生說, 這個右手是真的,而且這個右手的出現, 在美術史上有非常重大的意義。

另外,在今年(2016)的七月,根據東京文化財研究所的科學調查所做的評論 :完全無可否認, 這是一個在白鳳時期的金銅佛像

(1950年做了3個仿製的香藥師佛像, 一個留在新藥師寺, 一個留存給國家博物館,一個留存在佐佐木茂索先生的家中 , 留在新藥師寺的模像祭祀在香藥師堂, 後來又用合成樹脂做了一尊, 放在本堂讓眾人膜拜 )

疑問 ??? 

(1) 一個到鬧得沸沸揚揚的疑失案, 73年之後(1943-2016)佛像右手忽然出現, 記者也配合出書 ??

(2) 佐佐木茂索到底扮演什麼角色 ? 我看到的新聞報導都只有簡單的官方提供的報導 , 部分的新聞有提到右手掌是來自佐佐木茂索家族寄贈給神奈川県鎌倉市的寺廟 , 那右手掌為什麼會在佐佐木茂索家 ?

(3)佐佐木茂索跟新藥師寺的淵源很深, 當初做的3個仿製像, 佐佐木茂索就有一個1943年第三次遺失, 1950年製做複製版, 1966年佐佐木茂索過世, 在佐佐木茂索27回忌 (1993) , 他的家族將仿製像捐給家族菩提鎌倉・東慶寺, 而東慶寺在20142-4月展出這個仿製像 , 還是沒有人知道右手掌為什麼會在佐佐木茂索家 ? 身體部分也沒有線索 ?

http://www.tokeiji.com/heritage/yakushi-nyorai/ 存在東慶寺的香藥師佛複製像

http://www.tokeiji.com/graveyard/gravemap/ 東慶寺墓苑地圖

東慶寺.jpg 東慶寺2.jpg  

(4)所以要知道答案, 就必須去買貴田正子出的書 !!!

香藥師像右手.jpg  

『香薬師像の右手~失われたみほとけの行方』 新薬師寺へ参拝 

鹿鳴人

http://narabito.cocolog-nifty.com/blog/2016/10/post-ffcd.html

新薬師寺の香薬師像が昭和18年に3回目の盗難にあっていまだ行方知れずの国宝像として文部科学省が発表した、と新聞報道されていました。 

その右手の発見にいたるまで追求した元産経新聞記者と新薬師寺の中田定観住職のドキュメンタリーです。

最近、小西通りの啓林堂書店でこの本を見つけました。興味深い内容で一気に読み終えました。

目次は

第1章 香薬師の面影

第2章 香薬師盗難事件

第3章 香薬師像をしのぶ

第4章 香薬師の複製制作

第5章 香薬師騒動を追う

第6章 香薬師の右手

平成28年10月12日 講談社発行
「香薬師像の右手」貴田正子著。

242ページ。1600円税別。

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この本で、この香薬師像は光明皇后の念持仏であったこと、かつての本尊の胎内仏であり焼かれたことなど初めて知ることが書かれていました。

翌日早速、新薬師寺にお参りにいってきました。
うまい具合にちょうど東大寺二月堂に出かけられる前の中田定観住職にお会いすることが出来ました。

「わたしは香薬師像を探す旅をしています。多くの人に知ってもらい、お寺や骨董店などで、香薬師像の贋物でも良い、情報をお寺に連絡して欲しい。贋物から本物につながるかもしれませんから。とにかく多くの人に広めていただきたい」とのことでした。そして、読売新聞の記事など資料と本をいただきました。

香藥師3.jpg  

資料來源http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/kobutuaikou/shodana/shodana182.htm 

像高73㎝の金銅仏、白鳳時代の名作として名高い仏像であった。
昭和18(1943)326日の未明、この香薬師像が盗まれた。
明治時代、2回の盗難に遭っており、これが三度目であった。
過去2回の盗難のときは、香薬師像は戻ってきたのだが、今度の盗難はそのようにはならなかった。
香薬師像の行方は杳として知れず、今日に至っている。 

失われた香薬師像を偲んで】この香薬師像、多くの人々から愛された仏像であった。ほのかな微笑を浮かべる童児のような表情や、薄い衣の下のやわらかな肉身の起伏の清楚な表現は、観る人の心を惹きつけ魅惑せずにはいられなかった。白鳳時代の超一級作品であるのは誰もが認めるところで、今在れば「国宝」に指定されていることは間違いのない名品。それ故に今も猶、その美しさに惹かれ「憧れの仏像」となっている方も、結構おられるのではないかと思う。この香薬師像、行方知れずになって今年(2013)でもう70年になる。 

盗難に遭った年に、15歳で実物を拝したとしても、今では85歳になっているわけで、当時、香薬師堂に祀られていた「金銅・香薬師如来像」をその目で拝したことがある人は、もう数少なくなってしまっているのだろうと思う。
今では、残された写真で、その姿を偲ぶしかない。
盗難以前に、撮影された香薬師像の写真を、ここで紹介しておきたい

香藥師佛4.jpg          香藥師像5.jpg

  小川晴暘撮影  新薬師寺・香薬師像

次は、亀井勝一郎著「大和古寺風物誌」昭和18年(1943)、亀井36歳の時の出版。「現存する香薬師如来の古撲で麗しいみ姿には、拝する人いずれも非常な親しみを感ずるに相違ない。
高さわづかに二尺四寸金銅立像の胎内仏である。ゆったりと弧をひいた眉、細長く水平に切れた半眼の眼差、微笑していないが微笑しているようにみえる豊頬、その優しい典雅な尊貌は無比である。両肩から足もとまでゆるやかに垂れた衣の襞の単純な曲線も限りなく美しい。
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若し類似を求めるならば、関東随一の白鳳仏といはるる深大寺(東京府下)の釈迦如来坐像に近いであろう。深大寺は私の家からさほど遠くないので、時折拝観することがあるが、ちょうど兄妹佛のような感じをうける。香薬師が兄佛で、釈迦如来は妹佛である。」

033.jpg  

說到這個<大和古寺風物誌>, 據說當年入江泰吉先生也是深受此書的影響, 決定好好拍下奈良的風景, 留下記錄

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http://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/kobutuaikou/shodana/shodana184.htm

【その後の香薬師像あれこれ】

このようにして、姿を消してしまい、今はもうその美しい姿とあいまみえることの出来なくなってしまった香薬師像であるが、その模像が残されている。
我々は、この模像を拝することにより、香薬師像の美しい姿を偲ぶことができる。模像が作られた経緯は、次のとおり。実は、この香薬師像は、明治時代の盗難に遭ったのち、石膏型がとられ新薬師寺に保管されていた。
この石膏型は、飛鳥園の小川晴暘がとったものだそうで、香薬師像が盗難に遭った時に、小川晴暘は、「香薬師は、私が箔ぬきしてありますから、複製で原型を偲ぶことが出来るかもしれません。」と、語っていたそうだ。
香薬師が行方知れずになってしまい、悲嘆に暮れていた福岡住職を見るに見かねて、本寺・東大寺の上司海雲師は、文藝春秋社の社長・佐々木茂索氏に相談する。

佐々木氏もこれに同情し、昭和25年(1950)に、新薬師寺に残されていた石膏型をもとに、三体の模像を鋳造した。模造鋳造と云えども、本物の香薬師像からとった石膏型を用いて鋳造されたものであるので、大変精巧な作で、よく当初の面影を伝え、微笑をたたえた童顔の面相、薄い衣を透かして体躯の抑揚がたくみに表現されている。本物を拝しているのと変わらぬほどに、その美しさを鑑賞することができる像である。鋳造された三体は、一体は新薬師寺に寄贈され、一体は国立博物館に、もう一体は佐々木家に保管されることになった。
佐々木家の模像は、佐佐木茂索氏の27回忌に菩提寺である鎌倉・東慶寺に寄贈された。

この模像、新薬師寺のものは香薬師堂に祀られており、拝することは出来なくなっている。東慶寺に寄贈されたものは、東慶寺の仏像特別展(直近の予定は201424)の時に展示されるので、その折、観ることができる。また、近年、新薬師寺では、本堂に合成樹脂製の香薬師像模像が安置されており、この模像はいつでも拝することができるようになっている

055.JPG   

 這本小說很有意思, 好像是跟奈良有關係的推理小說, 內田康夫好像有很多作品, 都是跟推理有關係的, 只是台灣沒有出版這本書, 這個電子書有時間我應該好好看看 

內容主要是講:該香藥師佛於昭和十八年(1943年)被盜,自此便行蹤杳然。 

據說新藥師寺的香藥師佛和深大寺的釋迦如來都缺了右手的中指指尖  

內田康夫 , 小說 翻過平成山的女人 

https://tw.ixdzs.com/read/114/114977/27397644.html

 香藥師佛  (內田康夫 , 小說翻過平成山的女人) 

https://tw.ixdzs.com/read/114/114977/27397650.html

深大寺.jpg  深大寺的佛像

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每日新聞 

http://mainichi.jp/articles/20161227/k00/00m/040/052000c 

毎日新聞20161226 2015(最終更新 1226 2018) 

奈良・新薬師寺 

傑作の香薬師像の右手部分が見つかる 

27日から奈良国立博物館で公開 

 戦時中の1943年に盗難に遭い、行方不明となった新薬師寺(奈良市)の国重要文化財「銅造薬師如来立像」(通称・香薬師=こうやくし=像)の右手部分(高さ8.6センチ)が見つかった。神奈川県鎌倉市の寺に保管されている右手を東京在住のノンフィクション作家、貴田正子さん(47)が確認。新薬師寺に返還され、27日から奈良国立博物館(奈良市)で公開される。 

 香薬師像は高さ約73センチの銅製で白鳳(はくほう)時代(7世紀後半~8世紀初め)の傑作とされた。貴田さんの調査で、右手だけ本体と別に保管されていて盗難を免れたが、寺から流出したことが判明。戦後に元文芸春秋社長、佐佐木茂索(もさく)氏(1894~1966年)が東京都内の自宅で保管し、2000年に遺族が鎌倉市の寺に寄贈したことが分かった。 

 佐佐木氏は、盗難後に香薬師像の模造仏を新薬師寺に寄進するなど同寺と親交があったが、右手の入手経緯は不明。貴田さんが昨年5月に鎌倉市の寺で右手の存在を直接確かめ、同10月に新薬師寺に返還された。寄託を受けた同博物館は「盗難前の写真との比較や材質などから白鳳期の実物とみられる」と判断した。 

 新薬師寺の中田定観(じょうかん)住職は「小さいがふっくらして柔らかい手で、美しく感じた。発見されて感激した。ぜひ本体も見つかることを願っている」と話している。右手発見の経緯は、貴田さんが著書「香薬師像の右手」(講談社)にまとめている。【皆木成実】

手11.jpg  

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(產經新聞) 2016.12.26  20:37 

「香薬師像」の右手発見 重文、新薬師寺で3度盗難 

http://www.sankei.com/photo/story/news/161226/sty1612260015-n1.html

 奈良市の新薬師寺から盗まれたまま行方不明となり、「香薬師像」の名で知られる銅造薬師如来立像(7~8世紀、重要文化財)のうち、右手とみられる部分が見つかり、奈良国立博物館が26日、報道陣に公開した。 

博物館などによると、高さ約73センチの香薬師像は白鳳期を代表する仏像の一つ。右手は長さ8・6センチで、繊細な反りを見せる指や柔らかさを感じさせる手のひらが特徴だ。 

 仏像は明治時代に2度盗まれ、その都度寺に戻ったが、1943年に3度目の盗難に遭った。行方を調べたノンフィクション作家の貴田正子さん(47)が昨年、神奈川県鎌倉市の寺に右手が保管されていることを突き止めた。 貴田さんによると、仏像は明治時代の盗難で右手切断の被害に遭った。3度目の盗難時に本体と一緒に盗まれたと考えられてきた右手が、本体とは別に保管されていたことが取材で判明。作家の佐佐木茂索が所持し、遺族が寺に寄贈していた。 文化庁や博物館による調査で、当時のものとみても矛盾はないとの結果が出た。

未命名.jpg 香藥師立像.jpg

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東京新聞    20161227 0021

重文「香薬師像」の右手発見 奈良・新薬師寺で3度盗難

http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016122601001987.html

明治時代などに奈良市の新薬師寺から3度盗まれ、現在も行方不明となっている銅造薬師如来立像「香薬師像」(7~8世紀、重要文化財)のうち、右手とみられる部分が見つかり、奈良国立博物館が26日、報道陣に公開した。

 博物館などによると、高さ約73センチの香薬師像は白鳳期を代表する仏像の一つ。右手は長さ8・6センチで、繊細な反りを見せる指や柔らかさを感じさせる手のひらが特徴だ。 仏像は明治時代に2度盗まれ、その都度寺に戻ったが、1943年に3度目の盗難に遭った。

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2016.10.14 日本史

盗難から70年の時を経て発見!国宝「香薬師像の右手」のミステリー

http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49935

まさか、この時代になって「本物」が見つかるとは――。

美術史界、そして仏教界で、こんな驚きの声が上がっている。

白鳳時代(飛鳥時代後期、つまり7世紀半ばから710年の間)の最高傑作と名高い奈良・新薬師寺の香薬師像。「黄金仏」と呼ばれ、国宝に指定されながら過去三度の盗難に遭い、70年以上も行方知れずとされてきたこの仏像の右手が、ついに発見されたのだ。

「右手の発見は、美術史的にも大きな意義を持っています。この右手が無事に過ごしていたこと、それが本当によかった、というのが心からの感想です」

東京芸術大学名誉教授で、日本彫刻史研究の権威である水野敬三郎氏をも驚嘆させたこの出来事。香薬師像の右手は、一体なぜ、どのようにして発見されたのだろうか。

「振り返ると、不思議としか言いようのない多くの出来事、人との出会いがあり、その結果、この右手を発見するに至ったのです。大げさに聞こえるかもしれませんが、人智を超えた『天のシナリオ』に突き動かされたのではないか――いまは、そのように思っています」

こう話すのは、ノンフィクションライターの貴田正子氏。93年に産経新聞社に入社した彼女は、新人の地方支局時代に香薬師如来像の複製を取材したのをきっかけに、ライフワークとして香薬師像の独自取材を継続。02年に退社後も、20年以上にわたり香薬師像の行方を追う取材活動を続けてきた。

その取材の果てに、昨年夏、ついに貴田氏は仏像の一部である右手を発見。その取材過程をまとめた『香薬師像の右手』を上梓したのだが、まさに運命や奇跡という言葉でしか表現できないほどの驚きの物語が綴られている。

12.jpg  

 8世紀から奈良の新薬師寺に納められていた香薬師像。そのあまりの美しさから「黄金仏」と呼ばれ、病に苦しむ人のみならず、多くの人々の信仰を集めていた。ところが、この仏像はあまりの存在感ゆえに、明治時代に二度の盗難に遭ってしまう。 

詳細は本書に譲るが、二度目の盗難時(明治44年)には「国宝盗難事件」として大いに世間を騒がせている。 

その後、決死の捜査と住民の協力により発見されたのだが、受難は終わらない。太平洋戦争真っただ中の昭和18年(1943)、香薬師像は三度目の盗難に遭うのだ。 

 奈良県警は捜査本部を設置し懸命に捜査を行ったが、刑法上の時効を迎え、ついに「行方不明の国宝」となってしまった。 

仏教・美術関係者の失望は大きく、05年発刊の『とんぼの本 国宝』(芸術新潮編集部)の中にも、「この仏像にピンときたら、すぐ一一〇番!」との文言とともに、香薬師像が紹介されていることからも、その消失感の大きさが伝わってくる。 

まずはこの喜びに浸りたい 

香薬師像の虜となり、その行方に強い関心を持った貴田氏は、長年の取材で培ってきた知識と人脈を最大限に活用して、この国宝の行方を追う。 

香薬師は、過去二回の盗難時に右手部分が離れ落ちているのだが、貴田氏は「この右手を見た」という人物に巡り合う。そして、その証言をもとにさらなる調査を進め、ついに香薬師の右手を発見するのだ。『香薬師像の右手』に記された、ミステリー小説さながらの展開には驚かされるばかりだ。 

今回、右手が発見されたことは美術史界・仏教界を驚嘆させるスクープであり、その歴史的な意味・意義は、徐々に徐々に、世間にも浸透していくはずだ。 

一方で、気になるのは「本体」がどこにあるのか、ということだ。もちろん、貴田氏は本書の中でその点についても触れている。そのことに関心を注ぎながら、まずは古来より日本人が愛した仏像の一部が確認できたことを、歓迎し、喜ぶべきだろう 

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朝日新聞 (奈良)201612270300 

香薬師像の右手が約70年ぶりに新薬師寺に戻る

 http://www.asahi.com/articles/ASJDT7JG4JDTPOMB00J.html 

奈良市高畑町の新薬師寺(中田定観住職)で1943(昭和18)年から行方不明になっていた香薬師(こうやくし)立像(銅造薬師如来、高さ73センチ)の右手が見つかり、寺に戻された。27日から奈良国立博物館で展示される。 

 香薬師像は、法隆寺の夢違(ゆめちがい)観音などと並ぶ白鳳期(7~8世紀)の小金銅仏の傑作とされる。右手は高さ8・6センチ。手のひらや指がやわらかくふくらみ、指先が描き出す優雅な曲線が白鳳仏の特徴を示している。奈良時代の火事で焼けた際についたとされる肌の荒れも残る。 

 明治時代、香薬師像が2度盗まれた際に右手が切断された。像は43年に盗まれて行方が分からないが、最近になって右手だけが盗難をまぬかれて人手に渡っていたことが判明。神奈川県鎌倉市の寺から昨年、新薬師寺に返還された。 

 香藥師佛1.jpg  

 

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太可愛的影片了

奈良 新薬師寺への道のり The way to Shinyakushiji temple

https://www.youtube.com/watch?v=ma-tyCdMbvE

 

 

 

 

 

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